こんにちは、RTです。
最近、数学関連の新書を読んでいた。私は、あまり基礎的な理系教養の足らない実学系の理系(=農学)出身であり、今もそんなことを仕事としている身だ。数式アレルギーは文系の方より無い方だと思う。たまに数学を学びたい気持ちになる。きれいに筋の通ったロジックに浸るのは気持ちがいい。そんな感じで、久しぶりに純粋な数学の世界に触れていたところ、なんとなく受験勉強って楽しかったかもしれないと思い、それについて書こうと思う(それと、受験に付随して思い出される音楽について)。
読んでいた本はこちら。
私は、本質的には勉強が好きなんだろうと思う。
小学生の頃は、新学年になって教科書が配られるのが楽しみで仕方なかった。配られた新しい教科書を急いで持ち帰って、一気に読んでいたのをうっすらと記憶している。国語の教科書に書かれている物語が一番好きだったが、理科や社会も一気に読んでいたと思う。とにかく、あの時感じていたわくわくした気持ちは、世界が広がることへの期待だったんだと思う。
大人になった(年齢的な意味で。実際になれているのかは主観的にはわからない)今でも、頻度は減ってきたものの読書はするし、仕事に必要な知識は勉強せざるを得ない。だけど、そこには小学生の頃に感じていた純粋に世界が広がることへの喜びみたいなものはほとんどなくて、目的を達成するためのツールとしての知識でしかない部分がある。
世界が広がることへの期待、というのはこのブログで扱っている種々のカルチャー、つまり音楽、映画、小説、漫画で新しいものに触れたときの感動にほとんど等しいと思う。そういう意味で、「勉強」は元来、自分にとっては趣味みたいなものだったのかもしれない。
こういう文脈で考えたとき、受験、特に大学受験というのは自分の人生において、おそらく最後に「全力で全範囲を」学ばなければいけないときだったと思う。大学でももちろん教養の授業はあるが、なんとなくメリハリがなかったり、そもそも専門性の高い大学だったので、授業の質にもばらつきがあったりした。
なので、今、この年齢になって大学受験のことを考えるとちょっとうらやましいなと思ってしまうのである。
よくよく思い出してみると、「受験勉強は楽しかった」というのは少し間違っている、というか正確ではない。前提として、「プレッシャーさえなければ」とつけた方が良いのかもしれない。ただ、プレッシャーがなければ、センター試験がなければ、私はそんなに幅広く熱心に学ぶことはなかったと思う。
実際、私は高校二年生ごろを中心にほとんど勉強するのをやめてしまっていた時期がある。受験がなければ、勉強が好きという気持ちは長らく失っていたままだったかもしれない。
この時期に勉強をやめてしまった理由は単純に、「勉強ができるキャラ」でいられなくなってしまったことだった。私は、中学校までは学校でも有数の学力をもっていたと自負していたし、実際のところ、数値化できる事実に基づけばそれほど間違ってはいなかったと思う。それが高校で進学校に入ったところ、周りと比べてそれほど優れていないことがわかってしまい、そこで勉強に対するやる気がほとんどなくなってしまった。
高校一年生の頃はぎりぎりクラスの半分より少し上の位置にいたものの、やる気をなくしてしまった高校二年生ではクラス内で後ろから3~4番目の成績となった。当時、たしか世界史だったと思うのだけど、先生から「進級できないかもしれないから次のテストはちゃんと点を取りなさい」と言われた。自分の人生でそんなことを言われたのはおそらくこのときが最初で最後だったと思う。
そして私は、母親に「大学行かないで音楽の専門学校に行く」と言った。
母親には、将来ミュージシャンになっても全然かまわないから大学は出るよう言われ、特に反発もしないで私は大学受験をすることにした(結局、逃げ道としての音楽の道でしかなかったのと、母親がうまかったのはミュージシャンになりたいという部分は全否定しなかったことだと思う)。
そして、高校三年生で一年ぶりに勉強し始めた。大学受験の日程が近づき集中するようになるにつれ、再び勉強が楽しくなっていった。こんなことを考えてみると、「日本の大学はアメリカと比べると入り難く出やすい」などと言われるのも、(あくまで個人的に、ではあるが、)自分には合ってたのかもしれないと思う。あのとき、受験という障壁がなかったら、私はもう勉強に興味を取り戻すことはなかったかもしれない。
当時については、予備校で一人夕飯を食べながら地理の資料集を読んでいたことも、英語の構文を学ぶことや数学の問題を解くことが楽しかったことも、生物を勉強しながら「大学では物理を勉強したいなあ」と思っていたことも、いい思い出だ。
ところで、もしあのとき私が音楽の道を選んでいたら、すごく楽しい人生になっていたのだろうか。これは正直、よくわからない。もしかしたら、きれいにプロになる道に乗れて、楽しく音楽人生を謳歌しているかもしれない。だけど、なんとなくここのところの自分の人生を見ていると、そうはいかなかったのだろうなと思う。仕事にしたがゆえのノイズにやられて、きっと同じような年齢で「大学に行けばよかった」と思っているのだろう。
ともあれ、大学に進学した後悔は全くない。
で、その「楽しかった受験勉強」なのだけど、学びの本質の部分では面白いこと、興味深いことも多かったとはいえ、実際にはしんどいことの方が多かった。点数は伸びないし、とにかく私は独りぼっちだし。予備校とは言え、同じ高校の生徒どおしでわいわい楽しそうにしている人も多かった。私は、ただでさえ高校の中でも友達が少なかったのに、それにもまして同じ高校の人が少ない予備校に通っていたこともあって、そんなわいわいを傍でにらみつけながら一人イヤホンで世界をシャットアウトするようにして過ごしていた。そんなこんなで、受験自体への不安といろいろなものへの些細な敵意を抱えながら、ピリピリと予備校に通っていたと思う。
(それにしても、「同じ高校の人が少ない予備校に通っていた」というのは、なんとなく私の人生を特徴づける事柄に思う。私の人生にはこんなことが結構多い。気が付くと一人になっている。)
と、こんなことを考えていたら、当時聴いていた音楽を思い出してきた。iPodに入れて、何度も聴いてすごく鼓舞されていたのを覚えている。せっかくなので、記録しておきたい(10年経っても覚えているのだから、多分一生忘れないんだろうな)。
ちなみに、上に書いた「傍でにらみつけながら」というのは重要な表現だと思う。そんな感情で私がこれらの曲を聴いていたんだなというのを、なんとなくイメージしていただけるとうれしい。
一曲目。Fair Warning「Find My Way」。
歌もののハードロックに弱い、というのはある。曲がメロディアスで非常に聴きやすい。出だしの歌の入り方もすごく気持ちを高ぶらせてくれる。歌詞まで考えたことはないのだけど、人生の岐路にたち、将来と向き合わないといけなかった時期に「Let Me Find My Way♪」という歌詞は単純にそれだけで胸を熱くした。
二曲目。筋肉少女帯「ロシアンルーレット・マイライフ」。
アルバム「シーズン2」に収録されている。「この部屋出るのはどちらだ 生き残るやつは誰だ」という歌詞をわいわい楽しそうにする他の予備校生を睨みつけながら、耳元で大音量で流しながら聴いていたわけだ。「やるぜ運命から銀の銃もぎ取れ」「お前の主役はどちらだ 生きていくやつは誰だ」という歌詞もたまらない。
とんだネガティブ高校生だと思う。そう思うのだけど、残念ながらアラサーとなった今でも、似たような自分は頭の中にしっかりと健在だ。本能的に周りを敵に仕立てる本性がまだまだ残っている。しかし、少しだけまともになったと思うのは、理性の部分で「大丈夫、そんなに敵ばかりじゃないから、大丈夫」と言い聞かせるアクションが取れるようになったことだ。まあ人から見たら十分やばいやつなのだろうけど、なんにせよ成長は大事だと思う。
三曲目。Mr.Big「Take Cover」。
この曲は、以前にも記事で紹介した。アメリカのハードロックバンドMr.Bigの名曲。今回は、私も会場で楽しんだ2009年の再結成武道館公演の映像があったので貼り付けておく。ちょうど高校三年生、受験勉強の息抜きに千葉から東京に出てライブを観たのを覚えている。とにかく、Pat Torpeyのドラムの力強さが印象的。
受験期に、この曲で自分を奮い立たせて以来、しんどい時に聴くことが多い曲になっている。
他も、色々聴いていた。とにかく予備校で寂しかったなあと記憶している。
そして、そんなこんなを思い出していたら、ちょっと数学やろうかなという気持ちになって、久々に「大学への数学」なんて買ってみてしまったり。
※ちなみに、上のMr.Bigの動画は公式じゃないから著作権アウトかと思ったら、「この動画の音楽」が付記されているものは大丈夫みたいですね。なるほど。