こんにちは、RTです。
以前から、テレビのバラエティ番組などでよく耳にする誕生日ソングについて、少しばかり思うところがあり、それを書こうと思う。
今回話題にしたいのは、Stevie Wonder「Happy Birthday」。
少なくとも日本だと、「はっぴーばーすでいとぅーゆー♪はっぴーばーすでいとぅーゆー♪はっぴーばーすでいでぃあ〇〇♪」という一般的なお誕生日ソングよりもおしゃれな曲、くらいの感じで色々な場面で使われているように思う。もちろん、すごくポジティブな使われ方だし、批判されるような話ではないのだけど、もし仮に自分の誕生日にこの曲を使われるとしたら、なんともいえない気持ちになる気がする。
なんともいえない気持ちというのも、「私にその曲は、荷が重いなあ」という気持ちである。
この年代の音楽を聴いている人にすればこの記事の内容は今更なのだと思うのだけど、昔この曲の歌詞を初めて読んだときにとても感動したので、せっかくなので書いておこうと思った次第だ。
実は(隠されている訳でもないので「実は」というようなものでもないのかもしれないが)、この曲はある一人の人間に向けた歌だ。
細かい話はWikipediaにもあるので、それを読んでほしいが、その一人の人間というのがMartin Luther King, Jr.、キング牧師である。偶然に時勢にも重なる部分が非常に大きいのだが、キング牧師は1950年代に米国でのアフリカ系黒人差別のために活動した人で、だれでもその名を耳にしたことはある人だと思う。
このキング牧師の誕生日を祝日にするべきだ、というのがこの曲の意図するところであり、実際に現在の米国ではキング牧師の誕生日というのが祝日の一つになっていること、また一人の人間が一人の人間に対して、こんなに強い気持ちを歌えるのかという事実に感動した。
歌詞の一部を引用したい。まずは1番のAメロ。
You know it doesn’t make much sense
There ought to be a law against
Anyone who takes offense
At a day in your celebration
‘Cause we all know in our minds
That there ought to be a time
That we can set aside
To show just how much we love you
Stevie Wonder “Happy Birthday”
おおよその和訳は「あまり意味のないことだと思うだろう?あなたを祝う日に文句をいう人をさばく法律があるべきだということを。僕たちは皆心の中でわかっているんだ、ただ、あなたを僕たちがどれほど愛しているかを示し、祝福する時間があるべきなんだ、ということを」(翻訳家ではないので、正確な訳は別記事をあたって確認してほしい)。これが歌い出しだ。本当は一部切り抜こうと思ったのだけど、あまりに熱量が高くて、一節全体を引用した。「You」はキング牧師のことであり、彼に語り掛ける形で音楽は始まる。
そして1番のBメロ。
And I’m sure you would agree
It couldn’t fit more perfectly
Than to have a world party
on the day you came to be
Stevie Wonder “Happy Birthday”
「そして、きっとあなたは賛成してくれるだろうと思う。あなたが生まれたその日を世界中の人たちと祝うパーティを開くことより完璧なことなんて、何もないことを」
このあと、サビ(有名な「Happy birthday to ya, Happy birthday to ya♪」)に続く。
そして、2番のBメロ。
And we all know everything
That he stood for, time will bring
For in peace our hearts will sing
Thanks to Martin Luther King
Stevie Wonder “Happy Birthday”
「僕たちは皆知ってるんだ、彼が立ち向かったすべてのことは時が叶えてくれることを。だって、平和を願い、僕たちの心が歌うから。ありがとう、マーティン・ルーサー・キング」
ここの熱量がすごい。改めてこの曲をしっかり聴くとき、「Thanks to Martin Luther King」に向けたStevie Wonderの気持ちの高まりに鳥肌がたった。誇張抜きで。
よく聴く、「Happy birthday to ya, Happy birthday to ya♪」は、これだけのStevie Wonderの熱い気持ちを受けての祝福だ。なので、私がこれを歌われると、正直「いや、私はそんな風に祝ってもらうほどの人間では。。。」と、たじろぎそうだなと思ったわけだ。
とにかく、ぜひ一度、この曲を歌詞を、あるいは対訳の歌詞を読みながら、じっくりと聴いてほしい。人種差別とか、そういう問題意識を抜いても、一人のひとが、誰か他の一人のひとに対してこんなにも熱い気持ちでその誕生日をお祝いできるのかと、本当に感動する。
もちろん、人々の幸せのために戦った人を称えた歌が、お決まりの誕生日ソングになるのも、悪くないと思うし、偏狭な考えのために古臭い政治の歌になるよりはるかにすばらしいと思う。
だけど、せっかく耳にするなら、せっかくだからその意味を一度は味わってみたい。そう思わせてくれる曲だ。
さて、キング牧師の生誕日は1/15で、現在の米国の祝日もこの近辺となるので、この記事の更新のタイミング(6月)はよくわからない。
この流れで書くのは、よくよく考えるとすごく恥ずかしいのだが、実は、本日6/29は私の誕生日である。29歳を迎えることになるが、正直、自分の年齢が年々どうでもよくなっており、最近は自分の年齢を書くときに一旦手が止まる。
20歳のときは、20代のうちに社会の役に立つ、自分を明確に定義できるスキルを手に入れることに集中して、なんとなく偏っている気もする生き方については、武器を手にしたあとでどうにかすればいいと、そう思っていた。
しかし残念ながら、バランスを崩したままどうにかこうにか走ってきた私は20代も終盤のここにきてこのままの姿勢で走り続けることができなくなった。
あと、誕生日で思い出すことは、いつからか忘れたのだけど、自分のことをThe 27 Clubに重ねて27歳で命を落とす天才ではないかと期待していたのだが、そこから2年も生き延びてしまった。Kurt Cobainにはなれなかった訳である。John Lennonならまだあるのか?と書こうと思ったが、中年で銃殺されたい願望は、さすがのネガティブにもない。
このブログは長くやりたいと以前書いた。それもあるので、一応、マイルストーンとして、いくつか覚え書きをここに置いておきたい。
昨年28歳になった私は、自分の人生が、このままではもうどこにも行きつかないことを知った。それから1年間、また、とりあえず生き延びたわけだが、ここ最近、自分のことについて少し思っていることがある。
- 自分の両の手のひらは、自分が思っていたよりもはるかに少しのものしか持てないこと。これは絶対に持ちたいと思うもの、これはどうしても持たざるを得ないことをちゃんと考えたい。
- 人を好くにも嫌うにも、あるいは人に好かれようとするにも、まずは自分の魂を大事にすること。自分の魂を切って分け与え続ける形での繋がりの先に、心の平安はないことを心得ること。
- 自分は極度の怖がりだということ。
- 音楽が好きだということ。
今の自分には、1年を生き抜くことより、1日を生き抜くことのほうが大事だったりする。まずは、とにかく1日生き抜くこと。人生はたぶんそこからだ。